『ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座』井沢元彦 - 読書感想

最近、仏教、神道、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教なんかについて少しお勉強していたんですが、ユダヤ教~イスラム教が出来るまでの流れが非常に面白かったため、ご紹介してみたいと思います。

個人的には本当に魅力的な内容だったので、あまり興味がないという方も、もし宗教に嫌悪感がないのであれば、ぜひ読んでいただきたいです。

僕はそういえば英語の聖書を一冊持っているくせに、宗教についてきちんとした知識がないため、超初歩的な内容になるかと思います。主観的かつ理解不十分かと思いますが、ご了承下さい。

世界の裏側がわかる宗教集中講座: ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、神道、儒教 (徳間文庫)

※こちらは記事タイトルの書籍の最新版のようです。

宗教について

正直よく知らなかった

宗教って何?と聞かれると…。初詣やクリスマスなどの行事には参加しますが、そこに「宗教」という意識はないのです。典型的な日本人と言っていいのかもしれません。

昔ちょっとアメリカに居た時には教会にも行きました。若干イメージが違ったというか、地域の公民館に行くような感じ。食事を振る舞ってもらって(パンケーキだったような記憶が…、確か甘いものでした。違ったかな。)、歌を歌って、見学して帰ると。思っていたよりフランクで、ふらっと近所の公園にでも行くような、そんな印象だったのを覚えています。

まぁでも海外は海外、日本は日本。よく分からないけども新興宗教の胡散臭さをぼんやりと感じ、スピリチュアルなものを信じるタイプではないし、自分には関係ないことだろうと昔は思っていました。しかし、生きることへの苦しみが増すにつれて、宗教への興味が少しずつ湧いていったような感じです。

知らぬ間に影響を受けている

たとえばアメリカで宗教を一切信仰していないと言えば、それは”ヤバいやつ”でしょう。

たとえば、「人を殺してはいけない」という掟は世界中どこの国にもありますが、法律に規定されているから殺してはいけないのでしょうか。それは違います。生命の尊重ということは、どの民族にもあり、なぜ生命を尊重するのかを突き詰めていけば、それぞれの宗教においてそれが規定されているという事実に突き当たります。(p.2)

神も聖書も信じない=善悪の判断の基準がないということになってしまいます。

つまり神様がいて、悪いことをしないか見張っているから、人を殺してはいけない。罪を犯してしまったら、教会でその罪を洗いざらい告白し、懺悔する。だからこそ免罪符が売れるわけですよね。これが罪の文化というやつで、日本人のように世間様に後ろ指さされるからやっちゃいかんというのが恥の文化でしょう。

とはいえ日本人も儒教や仏教の影響を間違いなく受けていますよね。例えば「目上の人を敬う」や「親孝行をする」なんていうことはまさに儒教の教えです。儒教の中ではそれが重要・正しいというだけであって、キリスト教的に考えれば、人間は神のもとに平等ですから、基本的に横並びです。結果的に日本ほどの窮屈な上下関係はありません。

そう考えると、自分たちの思想はあくまで世の中にたくさんある考え方の1つ、正解はないということを改めて感じることができます。

世界三大宗教

僕は体系的な教えがきちっと存在するものが好きなようで、仏教・キリスト教・ユダヤ教なんかを中心にちょびちょび読んでいます。そういう意味で、

『ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座』はピッタリの内容でした。

同じ神を信仰しながら、今なお血みどろの戦いを続けるこの3つの宗教の歴史について、時系列順に見ていきたいと思います。

ユダヤ教

紀元前2000年頃。今からおよそ4000年前。

一神教を生み出したユダヤ民族。

一神教を世界で最初に考えだした民族は誰か。それはユダヤ民族です。他の民族が全く持っていなかった、神は唯一であり、他に神はないという考え方を、ユダヤ民族が初めて生み出しました。(p.21)

ユダヤ人が考えた唯一絶対の神様を、彼らはヤハウェ(エホバ)と呼びます。これは発音上の問題で、ヤハウェでもエホバでも同じ意味です。(p.27)

ギリシャ神話しかり、日本神話しかり、たくさんの神様が登場しますよね。そもそも「八百万の神」という言葉があるほどです。たくさんの神様がいるという世界観。それに対して、ユダヤ教は一神教ですから、”この世界を生み出した唯一無二の創造主である神”が信仰の対象です。

ちょっと話は変わりますが、日本神話の神は調子に乗ったり、喧嘩をしたり、すねたりしていて、とても人間的で面白いですね(笑) 仏教が伝わった頃なんかは、「神も苦しんでるみたいだから仏に救ってもらおう!」といって神に対してお経を唱えてみたり、今自分が持っている神のイメージとは大分違うなぁと思います。

そしてユダヤ教は名前の通り民族宗教ですから、ユダヤ民族のための宗教なんですね。

唯一の神のエホバが、ユダヤ人と契約を結んだというのです。この神との契約という考え方もユダヤ人独特のものですが、「ユダヤ人はエホバ以外の神を神としてはならない」という契約を結びました。(中略)そのかわりエホバは、すべての民族の中からユダヤ民族を選び、これを積極的にサポートする。これを「選民思想」と言います。(p.28)

なんとなく勝手に気持ちは分かるというか、ユダヤ人と言えば迫害の歴史があり、民族的苦難を受ける中で、苦しんだ分いずれ自分たちは救われるんだ、と考えるのは自然な流れのように思います。

しかし、この世界を救ったほどの存在が、ユダヤ民族だけを救うの?とついつい考えてしまうんですが、そこを克服したのがキリスト教なのかもしれません。

キリスト教

キリストが誕生して少し経った頃からですから、およそ2000年前。何気なく使っている西暦はキリストの生まれた年を0として数えているわけですから、凄いことですよね。

イエス・キリスト(以下イエス)はイスラエルのナザレというところで生まれ、病気の人を手をかざすだけで治したり、水の上を歩いたり、様々な奇跡を起こしたそうですね。

イエスは、この人は神の子ではないかと言われ、しだいに人気が出てきます。イエス自身は「人の子」という言い方をしていますが、「天なる父」とも言っていますので、神の子どもではないが、神に一番近いものではないかということで、みんなの信仰を集めるようになります。(p.40)

当時ユダヤ人はローマに軍事的に征服されていたために、救世主としてイエスがローマを倒してくれることを期待しました。しかしイエスはあくまで人類全体の救済を願っていたため、ユダヤ人とイエスの対立関係が生じてしまいます。

その後イエスは復活の予言を残し、神として復活を遂げたと。

さらに、ユダヤ人はローマとの戦いに破れ、世界に離散することになります。ローマは始めはキリスト教を弾圧していましたが、ユダヤ民族だけでなく全人類を救ってくれるキリスト教はどんどん信者を増やし、最終的にはローマの国教に。

キリスト教は、神ヤハウェと人類の新しい契約なんですね。

唯一絶対の神は、イエスというひとり子を全人類のところに差し向けて、しかも、イエスが全人類のすべての罪を背負って、十字架の上でわざわざ殺されてくれた。彼の犠牲によって全人類の罪は贖われたという考え方をするわけです。(p.51)

ユダヤ教:神とユダヤ民族の契約であり、ユダヤ民族が救われる

キリスト教:神と全人類の契約であり、全人類が救われる

だから、キリスト以降は”新”約聖書であり、キリスト以前は”旧”約聖書であると。もちろん、キリスト教から見たら新・旧だけども、ユダヤ教からすれば旧約聖書だけが真実であり、それこそが聖書。そもそも旧約聖書という言葉自体が失礼だと。

同じ一神教で神ヤハウェを信仰するユダヤ教とキリスト教。

ユダヤ教はもちろん神ヤハウェのみが信仰の対象。イエスは神ではなく、あくまで自分たちと同じユダヤ人である。対してキリスト教は、神・キリスト・聖霊を三位一体として信仰する。

ユダヤ教は、ユダヤ人が救済されるという民族宗教。信じるものは救われるキリスト教は全人類が救済される世界宗教。

同じ神を信じているならば上手くやれそうな気もしますが、同じ神を信じているからこそ、お互いに絶対に引けない部分があるんでしょうね。しかし、ユダヤ教の信者がおよそ1,500万人に対してキリスト教徒は20億人ですから、この2つの宗教の対立であれば数が違いすぎてそもそも物理的な戦いが成立しません。

16億人のイスラム教徒を加えて初めて三つ巴の戦いが成り立ちます。といっても、ほとんどキリスト教vsイスラム教ですね。それにしても、イスラム教徒+キリスト教徒で36億人。地球人口のおよそ半分はキリスト教かイスラム教に属していることになりますね。日本に住んでいるとちょっと想像できませんが…。

イスラム教

西暦622年。今から大体1400年前ですね。

イスラム教も、同じ神を信仰しています。

ヤハウェはヘブライ語であり、アラビア語では「アッラー」となります。

今回の預言者はムハンマドです。ムハンマドは、「オレが今度こそ最後の神の教えを預かってきたぞ!」ということで、その教えをコーランにまとめます。

…これって中々凄いことだと思いませんか?

預言者というのは過去にもたくさんいました。モーセも預言者ですよね。信じてもらえるかどうかは別として、僕でも預言者を名乗ることはできます。さっき神の言葉が聞こえた!と言っても、その真偽は本人にしか分かりませんから。

40歳くらいのおじさまが神の啓示を受けたことから始まり、今では16億人の信者がいる…。

というわけで、最初の神の教えとして旧約聖書があり、その後キリストによって契約が変更され新約聖書になり、最後にムハンマドを通してコーランを完成させた。神様は何を思って2回も内容を変更したんでしょうか。まさに神のみぞ知る、ですね。

それぞれがそれぞれの教えを信じ、どれが正しいのか証明ができないことで、現在まで続く激しい戦いの歴史が生まれてしまったんですね。

ちなみにイスラム教は絞め殺された動物は食べてはいけないけれども、刃物で喉を切り裂いたのなら食べても良いそうです。なぜか? 神様が言ってたから! 以上。

まとめ

この本は3部構成のようになっています。

①ユダヤ教~イスラム教の歴史の流れ

②各宗教の代弁者インタビュー

③アメリカにおける宗教の影響の強さについて

今回紹介したのは①の部分だけですが、②③ともに読み応えのある内容でした。僕のような無教養な人間でも読みやすく、楽しく読むことができました。もちろんごく一部の抜粋で、実際はより詳細な内容が書かれています。図書館で借りて読みました。

この本の最初のページには以下のように書かれています。

日本の教育体系の中に、宗教に関する基本的知識を得るという部分が非常に書けているという認識があったからです。これはみなさんも同感だと思います。

知らないが故に、宗教がこの世界にどれだけの影響を与えているのか、そして、自分も日本社会も宗教から大きな影響を受けていることを昔はあまり考えていませんでした。自分には関係ないと思わず、もっと早く読んでいればよかったと思います。

…罪の文化、恥の文化の話についてもう少し。

形として聖書(共通の道徳の教科書のような)があるキリスト教などと違って、仏教や儒教、元々体系的な教えがなかった神道などが複雑に混じり合った日本人の精神性は中々維持するのが難しいのかもしれません。戦後教育の影響も大きいでしょうね。さらに親と子の結びつきが希薄になり、そういった精神性が受け継がれなくなり、日本人のモラルが変容しつつあるのではないでしょうか。

恥の文化は、モラルが共有されていて初めて成り立つものですよね。皆が「目上を尊敬することは大事だ」と思っていて初めて、目上の人間を尊敬していない人が叱られるわけです。そう考えると、モラルの平均が低下すれば、日本人の善悪の基準が変化するということになると思います。結局、周りが良いと言うならなにをやっても良いわけです。

(「目上を尊敬すること」がいいかどうかは別として、です)

何が言いたいかというと、なんだか横並びで日本人のモラルが低下しているように思えてならないのです。人間放っておけば楽な方に流れるものです。その怠惰こそキリスト教の悪魔であり、ユダヤ人は毎日教典を読むことによって安全装置のように戒めた。果たして今の日本人に、安全装置は存在するのだろうか…?

ついつい、そんなことを考えてしまいました。偉そうにすみません(笑)

最後までお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m