『夜と霧』それでも救われない理由【後編】

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前回記事の続きです。前編はこちら。

『夜と霧』について【前編】
こんにちは、はじめです。 コメント・お問い合わせを下さった方、本当にありがとうございます。何度も、何度も読ませて頂きました。誰...

前編では、夜と霧で語られている極限状態での人間の心理と救いについてまとめました。感動的ないくつものエピソードには、人の心を震わす力を感じました。

しかし、彼は生来の楽天主義だったことがその思考に大きく影響を与えていると感じます。今回は、悲観主義である僕の考えを書いてみます。

ちなみに僕が言う”死にたい・死ぬ”というのは文字通りの意味です。

病気が原因のにたいとか、止めて欲しいという理由の構ってちゃん死にたい、一時的に気分がものすごく落ち込んでいて死にたい、といった意味ではありません。冷静に考えた結果、自分の人生の選択肢として死を考えているということです。

思い込みの力

『夜と霧』を読み終えたとき、確かに感動しました。しかし同時に、

「あくまで都合の良い意味付けをしたに過ぎない」

とも感じたのです。

彼はあくまで”生きる”という前提で、そのための意味付けをしたに過ぎないと考えます。

病者の祈り

いったんフランクルの体験から離れ、別の例を元に説明してみます。

こちらの詩をご存知でしょうか?

「ニューヨークの物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられている作者不詳の詩」

病者の祈り

大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。

より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、
より良き事ができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、
心の中を言い表せない祈りはすべてかなえられた。
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。

(引用元:http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/lds/asked.htm

これも感動的な内容だと思います。わざわざ説明は不要でしょう。

自らの困難にさえ意味を見出し、そこに幸福を見出しています。リハビリテーション施設に書かれているそうなので、辛いリハビリに立ち向かう人達に勇気を与えているのかもしれません。この詩を知ったのは何年も前ですが、「こんな発想ができるなんてスゴイ」と素直に感心していた気がします。

しかし今の僕は、本当はこんなことをしたくはないのですが、ちょっと水を差していきます。水を差されたくない方は、続きを読まないで下さいね。僕は自分の人生にもう何も望んでいませんが、人の幸せを邪魔したい気持ちは全くないのです。

今僅かでも幸せを感じているのなら、それを大事に大事に、生きていくべきです。

バイアスと思い込み

では、本題です。人間には様々な種類のバイアス(簡単に言えば、実際より自分に都合よく判断する)が備わっています。あまりよく知らん、という方のために有名な例を挙げてみます。

①すっぱいぶどう

キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。

Wikipediaより引用)

つまり狐は、自分の手に入らなかったぶどうを”まずい”と思い込むことによって、自身の怒りと悔しさを落ち着けようとしているのです。最初は美味しそう!食べたい!と思ったから食べようとしたくせに、いざ手に入らなかった途端、まずいと捨て台詞を残すのです。

もちろん、このぶどうがまずいなんていう根拠は全くないわけです。もうひとつ。

②甘いレモン

先ほどのキツネが、その後レモンを手に入れたとします。するとキツネは、そのレモンがとてもいいレモンで、レモンにしては甘くて美味しいと思い込むわけです。

これも、思い込みによる正当化です。本当はあの美味しそうなぶどうが欲しかったけれども、レモンしか手に入らなかったために、それが良いものだと考えることで自分の感情を落ち着けます。

人間なら誰しも、こういった経験があるのではないでしょうか。これは、人間がもつ(キツネが例でしたが 笑)正当化・思い込みの一例に過ぎません。人間が生きていく上で、こうして自分に都合の良いように思い込むことは非常に重要なのです。

(「認知的不協和」や「認知バイアス」などで調べるとたくさん出てくるかと思います。)

今回の例で言えば、キツネは本当はぶどうが欲しかったし、ぶどうが入れば何も問題はなかったわけです。しかし、自分の望んだものが得られなかったため、”都合よく思い込む力”を使って自分を騙したわけです。

もう僕の言いたいことは大体分かっていただけたと思います。

思い込むことで生きている

フランクルの話も、病者の祈りも、結局は自分の苦しみや現状を思い込みの力によって正当化しているに過ぎません。

本当は、苦しい状況などなく順風満帆な人生を歩む方が良いのです。

しかしそれが得られないとき、人間はその状況を正当化することによって自分を誤魔化し、生きるのです。うつ病になる人は、そうでない人よりも現実を正しく認識しているという説もあります。辛い現実を直視することは大きなストレスになるので、自分を少し騙してやることでそのストレスを和らげるのです。

では、どうしてそこまでして生きようとするのかと言えば、それは本能に従っているからに他なりません。

生物は基本的に、生きて、子孫を残すように本能によってプログラムされています。

もちろん人間も例外ではありませんよね。誰に教わらなくたって死ぬことは怖い。生命が脅かされないように扁桃体が恐怖信号を出し、痛みを感じます。生きる力の無い赤子は外見を”可愛く”することによって母体に守られるようになっています。もちろん、オキシトシンなどのホルモンによって、子育てが幸福に感じられるように作られています。

そうして母体との触れ合いから自己肯定感を得ることで、自分を守る力をさらに強めます。そして社会での結びつき、承認欲求、愛されたい、認められたい、家族、子孫、仕事という社会的役割。好きなものを楽しいと思うこと、継続してやりたいと思うこと・・・。

人間は、生を求めるように作られています。それがなければ、種は絶滅します。本能がそれを望んでいないのです。

その本能の働きを、思い込みの力によって強化するのです。生とは尊いものだ、困難には意味がある、あなたはあなたであるだけで価値がある、魂を鍛えるために産まれてきた、一生懸命生きれば天国に行ける・・・。

どれも、思い込みが作り上げた嘘にすぎないと僕は考えています。論理的根拠などないのです。だからこそ、神や輪廻など現実を超越した存在の力を借りるんだと。

別に人間が1人2人死んでも世の中は何も変わりません。200年後には、今存在している全ての人間は死んでいます。2000年後には、人類など居なくなっているのかもしれません。いずれ死ねば、全ては失われます。あなたはどう思いますか?

僕は大樹のようなイメージを持っています。その葉、枝、樹皮のひとつひとつが個人であり、それらをまとめて「人間」という生物だと。大事なのはあくまで大樹が存続することです。人間はもう地球上にこれだけ栄えていますから、本当に大きな樹です。その葉の一部が落ちようと、巨大な樹からすれば大した問題ではないと、そんな感覚です。

逆に言えば

しかしこれを逆手に取れば、生きるコツのようなものがはっきりしますね。

「なんでもいいから、生きる意味や目的を作り出すこと、そして信じること」

そういう意味で、フランクルの言っていることも、宗教も、ある意味では真実であると思います。とにかく深く考えず、本能と思い込みという本来備わっている機能を十分活用すればいい。

そういえばフランクルは、収容所の中で仲間に恵まれていました。何故か仲間の重要性についてはほとんど書かれていませんでしたが。それほど彼にとっては当たり前の存在だったのかもしれませんね。それから、精神科医ですから、おそらく平均よりも良い暮らしをしていたでしょう。肉体労働を免れ、屋内で病人の治療をすることもできました。妻も居て、彼は心から妻のことを愛していました。コミュニケーション能力も高く、精神科医としての知識も活用し、何人かの監視官と友好的な関係を築くことに成功し、命を救われたそうです。

この記事の最初にも書きましたが、楽天的であったこと、過去の人生が良いものであったこと、人間としての能力。彼には「鉄条網に走らない」ことを最初から選択するだけの条件を備えていたように思えてなりません。そして、それを成し遂げるための思い込みの力も、彼は持っていたのです。

・・・信じる対象はなんでも良いのです。漫画・アニメ、宗教、本、偉人の言葉など、生きるって素晴らしいな、辛くても生きる意味はあるんだな、もうしばらく生きてみようかな、そう感じさせてくれるものを見つけて思い込むことです。

人間は元々生に向かうように出来ていますから、死にたい死にたい言っていても中々死ななかったり、なにかに勇気づけられてまた生きようとしてみたり、比較的簡単にそういうことが出来るように作られていると思います。

あなたが僅かでも心震わせられる何かがありますか?

自分のことがたとえ1%でも好きですか?

希望がないふりをしていませんか?

僕は、自分の考えをひっくり返すだけの”何か”を持ち合わせていません。

納得できる何かがあれば良かったのですが。世の中には僕の知らないことばかり。僕の考えを変えてくれる何かがあれば、ぜひ教えて下さい。